カトウのブログ

観た映画や読んだ本、その他について

分人とヒミズ

平野啓一郎著『私とは何か_「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)を読みました。「唯一無二の本当の自分という幻想」はやめた方がいいじゃないかということが書かれていました。

友人Aといるときの自分と友人Bといるときの自分は違っていて当たり前、当然、身内と話すときと近所のおじさんおばさんと話すときも違ってくる。それは口調も話す内容も態度も違うかもしれない。ある人には、かなり偉そうな自分、別のある人には、とてもまじめな自分が顔をだしたり。そんなどれもが自分自身であって、誰もがそういうものだと言っています。

そう言われても、自分自身を正直に出してないじゃないかって、軽い自己嫌悪なんてこともある。でもそんな必要はないんでしょうね。それが全然普通だから。考えてみれば、そりゃそうです。人間って単純じゃない。いろんな側面があって、それが集まって自分が出来ているのですから。

そんなふうに考えると確かに楽になる。

この本で書いてある通り「コミュニケーションは他者との共同作業。会話の内容、口調、気分などすべて相互作用の中で決定されてゆく」もの。だから、相手によって違った自分が出てきても当然であり自然。そんな当たり前のことを意識するだけでだいぶ楽になってきました。

「コミュニケーションの成功はそれ自体が喜びである」って、この本にも書いてありましたが確かにその通りだと思います。

 

 昨日、映画『ヒミズ』(園子温監督)をみたのですが、映画や本やサッカーなどを見ていると、世界にはいろんな人がいる事を学べるなと常々思っているのですが、この映画では、さらに普段はほとんど意識することもない人たちの心情を見る事ができたとう思いがしました。それだけ、強烈なインパクトでした。メディアや歌の世界でも便利に使い回されて手垢がついているような言葉や表現、安易に使われると、違和感、ときには嫌悪感さえ抱いてしまう「がんばろう」という言葉は、こういうときにやっと使える言葉なんだと気づかせてくれるのが、この映画の素晴らしいところではないでしょうか。

 

ヒミズ』では鬱屈した爆発寸前の人たちが、当たり前のように数多く登場します。世の中にはそんな追いつめられた人ばかりだとは思わないけど、みんな多かれ少なかれ不満はあるでしょう。

そうなるとやっぱり『分人』という考え方はいいかもしれない。日常が結構楽になるのは間違いなさそうだし。それでどう変わるのか、変わらないのかはわからないけど。