カトウのブログ

観た映画や読んだ本、その他について

プロセス

少し前にニュースで見たのですが、スプレーアートで世界的に有名なアーチストのバンクシーの作品をバンクシーの名前を伏せてニューヨークの路上で販売したらしいです。売値は1枚60ドルだから6000円くらい。だけど売れたのは7枚だけだったとか。このバンクシーの描いた壁画は競売で一億万円近くの値がついたというから、もったいない話だけど、ぼくも路上のよくわからない絵画に6000円出すかというと、絶対に出さないだろうと思います。

 

世界的に評価されているクオリティの高い作品であっても、そう簡単には売れないということでしょうか。良い物だから大ヒットするかというとそうでもないみたいだし、素晴らしい才能があっても、すぐに人に認められるというものでもない。ゴッポだって生きているときは絵がまったく売れなかったというし。

 

バンクシーのことはよく知らないのですが、ウィキペディアで調べてみるといろいろときわどいことをやってるみたいです。おそらく、路上で販売しても売れないだろうと予想してそんなことをしたのでしょうし、この事が世界にニュース配信される意味みたいのものも考えてのアート活動ということなのかもしれません。

 

話は違いますが、「憂鬱でなければ、仕事じゃない」と「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」(ともに見城徹藤田晋 講談社プラスアルファ文庫)を読んでいたら、仕事で大ピンチのときに作家の阿佐田哲也さんの言葉に勇気をもらったと書いてありました。その言葉は「君は10万円持って競馬に行くと、9万9千900円を失ったら「負けた」と思うんだよ。でも、100円あったら、まだ、勝負は出来る。君はまだ若くて才能があるけど、結論を早く出し過ぎる。それが君の欠点だよ。100円が残っている限り、それはプロセスであり、勝ちでも負けでもない」というもの。

 

これを読んで、バンクシーの路上販売の話を思い出しました。路上で販売していたのが腕はあるのに売れない無名のアーチストだとしたら?

たぶん、安く売ろうとしても売れなかったら、自分の才能を疑ってしまうかも。絶望して辞めちゃうということもあるかもしれない。何日も何日も地道に路上で売っていればそのうち価値を見いだされるかもしれないないのに。

もし、そこで諦めなければ、何かのきっかけで世に出る事もあるかもしれない。路上で販売している限り100円は残っているということだから。ただ、そうは言っても、そうやって才能がないのに気づかずに年だけとっていく人もいるから、難しいところだけど。