カトウのブログ

観た映画や読んだ本、その他について

安部公房の友達

安部公房の「友達」を読みました。この間飲んだときに酔った友人がわざわざメモに書いて勧めてくれた本です。人からすすめられた本や映画は、極力読んだり観たりするようにしているので買ってみたのですが、正直最近は半沢直樹でおなじみの池井戸潤の小説をつづけて読んでいたこともあり、安部公房ちょっと重いなと躊躇してたのも事実。でも、読んでみたら面白かったですね。後味はいいとはいえなかったけど。

 

この「友達」って戯曲なんですね。話はすごくへんな話で、一人暮らしの男の部屋に、突然、見知らぬ家族(9人もいる)が押し掛けて、暮らし始めるというもの。もちろん拒否をして追い返そうとするんだけど、警察や大家を読んでもも最終的にはうまいこと居座られてしまうことになる。見知らぬ家族は「孤独はいけない」とか「愛」だとか「あなたのことを思って」とかいろんな事を言ってるんだけど、男にとってはまったく迷惑。知らない家族が何の前触れもなく現れて居座るんだから腹が立つが当たり前。あげく、婚約者とも別れることになるし、最終的には最悪の結果になるという結末。半沢直樹を読み慣れている最近なので、最後はこの家族が痛い目みるんだろうくらいに思っていたから、後味わるいのなんの。

 

それにしても、これって何なのって感じです。最近ではスマホに登録した人数を友達と言い張っているということをよく耳にするけど、それに似た、気持ち悪さを感じる話のようにも思えます。

一人暮らしの男は別に何の不便もなく暮らしているのに、見知らぬ他人が孤独と決めつけて、優しさを押し付ける。あげくのはては「自分のことしか考えていない」と非難されたり、「私はいつもあなたの事を考えている」とやさしさを押し付けられたり。まあ、不愉快きわまりない。最終的には「逆らわなければ、ただの世界に過ぎなかったのに」とお前の態度がそうさせたと言わんばかり。1967年(昭和42年)の作品らしいのですが最近の作品と言われてもなんの違和感も感じないと思いました。

安部公房は「友達とはなにか」「連帯とは何か」ということをテーマに「自分たちは被害者であり加害者である」とこうことをこの作品を通して言ってるのだとか。人と人との関わりや、人の内面の問題はいつの時代も変わらずあることとはいえ、なんとも今の時代にぴったりな空気感を感じました。

 

昨日、HDに録っておいた「小津安二郎・没後50年 隠された視点」という番組をみたのですけど、安部公房の『友達』に比べると、小津の世界ってなんだかあったかいんですね。あの時代がそうだったのかもしれないけど、あまり余計なことを言わないし、意地悪な人もでてくるし、喧嘩もするし、別れもあって、死に向き合わなければいけないような事もあるんだど、なんだか人間味を感じる。笠智衆の朴訥とした、台詞回しと抑えた感情が何かいいです。それを考えると、あったかさとか優しさって何なんだって感じもします。丁度いい距離感を保つというのが大事なのかもしません。づかづかとあなたのためとか言って土足で踏み込まれてることなんて誰も望まないですもんね。そういう意味では、今は人との距離感を測るのが自分も含めてみんな上手くないのかもしれない。

小津作品の『東京物語』が1953年、『秋刀魚の味』が1962年。安部公房の『友達』とそれほど時代は変わらない。そうえいば、『東京物語』は去年、イギリスの映画雑誌が発表した「映画監督が選ぶベスト映画』の1位に選ばれたというニュースがありました。BBCが選ぶ「21世紀に残したい映画100本」にも選ばれているようで、どの国の人にも共感を得る部分があるということなんでしょう。たしかに、ほとんどしゃべらないで荷造りをしてる老夫婦の姿を見ているだけで、なんだか懐かしい気持ちにさせてくれるのが小津映画。そんなシーンをみて「あるなあ」とか「美しいな」なんて、いろんな国の人がそれぞれ心に染みるものを感じるのかもしれません。

 

ネットで調べてみたらスウェーデンの監督が『友達』を映画化していました。安部公房の世界にもフィットする人って少なからずいるんでしょうね。小津とはまったく違う冷たさがあるけど、その世界観のどこに共感しているのか、ぜひ見てみたいです。ただ、1988年の作品ということなのでDVDでも見る事ができないかもしれない。だったら、だれかぜひ再映画化を。