カトウのブログ

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ポエムの言葉

最近、いろいろなところでポエム的な言葉が目立っているらしい。ポエム的な言葉とは「夢」だとか「勇気」だとか「仲間」だとか「希望」だとかのやさしい言葉を使った言い回しだったりスローガンだったり。言われてみれば確かに。すでに自治体の条例など公共的なものにもポエム的ことばが多用されてとか。そうなるとちょっと恐い感じもしてきたりして。

 

先日放送の「クローズアップ現代」は「あふれるポエム?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」という内容で放送されていました。ネットでもけっこう話題に上っているようですが、そこでは、居酒屋甲子園というイベントで全国の居酒屋さんで働く人たちが、感謝や夢などをステージに上がって話してました。実際は話しているというレベルじゃなくって、涙ながらに訴えたり、感謝したり、体を震わせて叫んだり、様々なスタイルでアピールしていました。このイベントが、お店の味だとかサービスなどをアピールして、それプラス感謝などのコメントを発しているのか?それともそのパフォーマンスが評価されるのかは分からなかったのですが、いづれにしても、ちょっと異様な光景でした。

こういったポエム化は、今の職場の働く環境の厳しさ(安い給料で長時間労働や就職難)、現実を生き抜く厳しさを乗り越えて働くためには有効なこともあるので、一概に非難はできないと分析している人もいるようです。確かに見ているとちょっと麻薬的な効果があるのかと思ってしまいます。辛さを忘れるためとか、人とうまく付き合えない人が自分の存在を確認できる場であったり。そういった場でこのポエム化した言葉が貢献しているのかもしれません。

 

先日読んだ、「小倉昌男経営学」では、ポエム化とは逆に「曖昧ではなく具体的でないといけないと」仕事の上でのコミニュケーションについて書かれていました。そこでは自らの新しいビジネスを始めるとき「サービスが先、利益が後」という簡潔で方向がはっきり示されてる言葉で社員に訴えたそうです。そして仕事は「他に対して説明する能力が大事な資質」であると書いてました。ポエム化して曖昧にした言葉とは真逆。はっきりとした方向性を短い言葉で表現できたときビジネスにとって大きな前進のような気がします。

デザインの世界でも、そのデザインを言葉で明確に現し、説明できなければ駄目だという人もいたような記憶がありますし、ぼくの好きなサッカーの世界でも名監督は簡潔に良いコメントをする。それがチームの方向が明確にすることもあるだろうし、ある選手へのメッセージになることもある。今回、ミランに移籍した本田選手もとても明確に目標やするべき事を言っています。ただ、言い過ぎるとポエム的になっちゃう可能性もあるのかな?と思ってしまうのですが。

 

番組でも言っていましたが、ポエム化した言葉はやさしく前向きな言葉だけど、そこに隠れている意味を理解する必要があるでしょうね。それって何の事をいっているの?とか、何に対してなのか?とか。ものごとを曖昧にして、問題の本質を覆い隠されると困るのはこっちですからね。